沿革
1924年(大正11年)
早大教授川原田政太郎欧米留学、テレビの研究状況調査
1930年(昭和5年)
3月16日および17日、朝日新聞本社にて 早大式テレビの公開実験成功
3月20日、東京市政会館におけるJOAK5周年記念博覧会にて愛宕山からのテレビ無線送受信に成功
1931年(昭和6年)
37月10日、 早大式テレビ 早大戸塚球場における野球紅白試合の送受に成功
1944年(昭和19年)
財団法人航空電磁応用研究所として再建(文部省認可、東京文京区本駒込)
所長 川原田政太郎 就任
1945年(昭和20年)
戦後財団法人電磁応用研究所に改名
1981年(昭和56年)
研究所を青山へ移転
1983年(昭和58年)
理事長川原田政太郎逝去、享年93才(9月6日)
1983年(昭和58年)
川原田安夫理事長就任(11月26日)
文書処理、画像処理、自動設計、データ処理などの情報処理分野へ研究領域を拡大
2001年(平成13年)
理事長川原田安夫逝去,享年80才(7月22日)
富永英義理事長就任(9月15日)
2012年(平成24年)
公益財団法人へ移行

研究所のあゆみ

本財団は電磁誘導同期モータの発明者である川原田政太郎が創設した研究所が起源になっています。
川原田政太郎は その応用に基づく機械式早稲田テレビの開発に成功し、早稲田大学電気工学科教授として学産官連携研究の実践の拠点となる文部省認可の 財団法人航空電磁応用研究所を1944(昭和19)年東京都駒込に起こしました。その前年の1943(昭和18)年に早稲田大学理工学部に電気通信学科が 創設されています。終戦直後の1945(昭和20)年に財団法人電磁応用研究所に改名し今日に及んでいます。

創設時の研究開発技術の背景をまとめてみます。

当時の、電話や電報の業務は、人間の操作による手動交換や、電報局の窓口で受け付けた電報文の文字を手動でモールス電信機を操作して相手の電報局担当者に送信し、 受信者は受信電報用紙を作成し、電報配達人が受信者に電報文を手渡しました。これらを自動化する電信電話技術は継電器(リレースイッチ)を用いた自動交換機、 電話機、電信端末機の研究開発が国家レベルにおける最先端技術開発でありました。

計算機も継電器を用いた論理回路(将棋倒し論理)で当時の電気試験所の機関で実現されていましたが、戦後はその基本素子を真空管回路に 置き換えるクロックパルスによる同期制御論理技術が研究開発課題でありました。

日本放送協会の放送局の設備や、家庭におけるラジオ受信機の主要部品は真空管素子でした真空管は音声を電波に乗せ、 受信した電波を音声に変換する装置(増幅器、変調器、検波器など)の主要素子でした。マイクやスピーカは電磁部品でできていました。
ファクシミリはスコットランドの時計職人が1841年1月1日に特許登録した、電磁波で振り子を動かす電気式の時計を応用したものでしたが、 実用になるのに100年かかりました。日本では『模写電信装置』として、鉄道や警察での通信手段や電報局の補助的な装置として用いられていました。同じ時期、新聞社や商社の国際間の情報手段はテレックスが主体でした。

政太郎はこれらの技術を総称して『電磁応用』と称しておりました。

これらのサービス業務を実現する基本技術の研究は、

①素子機能の発見と素子の実現の発明、
②それらの組合せである回路設計と装置の開発

ですが、当時の基本技術はモータや継電器などの電磁部品の実現と組合せに関するものでした。 『電磁応用』の語彙には電波や光の応用の概念にあわせて『回路技術』が含まれます。
回路技術はエレクトロニックス技術として驚異的な発展をし、今日の情報通信技術そのものになりました。 用語も次のような進展をし、関連する用語も多岐に渡っています。

電磁応用機器⇒電磁回路⇒真空管回路⇒電子管回路⇒電子回路/半導体回路素子⇒ 半導体集積回路(IC)⇒大規模集積回路(LSI)⇒情報システム回路/デジタル回路

財団法人電磁応用研究所はその後、

1981(昭和56)年
駒込の不動産を整理し現在の青山に移転し、早稲田大学電気工学科と電子通信学科との 連携を基軸として新しい体制で産学連携研究の推進を目指しました。両学科の若手教員の研究支援を着手し、研究費を援助してきました。

1983(昭和58)年11月
川原田安夫が理事長に就任し早稲田大学平山教授グループの協力を得て、文書処理、画像処理、自動設計、データ処理などの情報処理分野へ研究領域を拡大しました。 わが国の急速な経済成長と国際的な経済環境の変化に伴い、預金金利の大幅な減少をもたらされました。そのため財団の運用財産の金利収入が劇的に減少し研究資金の安定な確保が難しくなりました。 研究資金確保と新たな研究体制を模索するため電気通信産業連盟との研究テーマの交流、通信・放送機構(TAO)の情報冷蔵庫研究グループの研究員の受け入れなどを行いました。

2001(平成13)年9月
富永英義が理事長に就任し、電気工学科、電子通信学科に加えて、 1997(平成9)年に発足した国際情報通信研究センタ(GITI)および2000(平成12)年4月に創設した独立大学院国際情報通信研究科(GITS)との連携を拡大しました。  

爾来、SCCC学会(Society for Content Creator and Communication),GITIと連名でBNC(Broad band Network Convergence)フォラムを共同主催してきています。
BNCフォラムの基幹業務を主管する組織として2009(平成21)年3月GITI Alliance の設立を宣言し、当財団に事務局を設置しました。GITI Allianceの作業グループとして蓮池曜氏が開発したプラグインフリー文書管理システムの普及およびその運用方法の検討に着手しました。

2010(平成22年)3月
クラウド・ウェブ・書籍(CeBook)の研究会の設置し、研究員の制度を生かして、蓮池曜を研究員(副所長)、片岡忠衛を研究員(研究主監)、花村剛を研究員(主幹研究員)、神山司を研究員(主幹研究員)に委嘱しました。CLOUDFILINGの機能の確立作業を行い、

2011(平成23年)
イメージ情報管理の高能率処理を可能とするimecomiシステムの商用化に着手しました。

事業計画の基本方針:

公益法人制度改革の法律が2008年12月1日に施行されたことに伴い、本財団は2012年に公益財団法人に移行しました。移行後は設立以来の研究活動の総括をするとともに、新時代に向けての研究シーズの着手できる環境整備にかかわる事業を重点的に行って来ています。また、研究施設の積極的な運用をする体制の整備に着手し政太郎記念展示室を整備しましたが、長期間の超低金利のため、現状研究施設の維持のためには運用資産の取り崩しをせざるを得ない現状であります。そのため、管理施設の大部分を研究資産勘定として運用する体制にすることで委託事業の実施拠点確立を行います。あわせて政太郎の理念を継承して『電磁応用』に関する未来技術のシーズの開拓とその実務的応用の実践場所として施設が利用できる環境整備を行います。